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「MMTに対する懸念」 ~甘い誘惑の落とし穴~

2022/02/01

 巨額の赤字を抱える日本の財政が、果たして持続可能なのかどうかは長く論争の的でしたし、今後も大きなテーマであり続けます。先般も、現役の財務省事務次官が一般誌に、「このままでは、国家財政は破綻する」という趣旨の論文を寄稿し、話題となりました。一方、そうした従来型の経済学に基づく財政破綻懸念論に対し、強烈な反論がなされています。それがMMT(Modern Monetary Theory,現代貨幣理論)です。

MMTの主張

 MMTの主張を簡単に要約すると、次のようになります。
 「通貨発行権を持つ国家は債務返済に充てる貨幣を自在に創出できるために、デフォルト(債務不履行)に陥ることなく、政府債務残高を増やせる。政府債務拡大に伴う国民経済に対する懸念は唯一インフレである。だから、インフレの兆候がない限り、財政支出拡大をためらうべきではない。」
 我が国は言うまでもなく通貨発行権を有する独立国家であり、また、現在インフレの兆候はないのですから、MMTに立脚すれば、まだまだ財政赤字は拡大できる、ということになります。
 伝統的な経済学に基づく財政再建を行うと、国民負担が避けられません。一方、MMTが有効であれば、日本の財政状態に問題はなく、財政再建は不要ですから、国民に負担をかけずに済みます。そうであれば、現在の国民だけでなく将来世代もハッピーでありMMTに賭けてみたい誘惑に駆られますが、果たしてMMTは信頼に足る理論なのでしょうか。
 私は、MMTに依拠して財政拡大を続け、政府債務残高を増加させ続けることは、以下の理由から危険だと考えています。

ワイズスペンディングの障害

 ワイズスペンディングとは文字通りに訳すと「賢い支出」ということになります。財政支出を行うときは、効果のより高いものを選択することが求められます。それは当然のことですが、ワイズスペンディングを行うためには、財源に限度があることが前提になります。財源に限りがあるから、財政効果の測定と順位付けが重要となるのです。MMTのようにインフレになるまで大丈夫だといった漠然とした考えの下では、ワイズスペンディングの必要性はなくなり、無駄な財政支出を加速する危険性があります。したがって、財政規律が働かず、財政赤字拡大の勢いが増します。

インフレを止められるか

MMTに基づき、財政運営をしていけば、財政は拡大し続けます。そうすれば、どこかでインフレの兆候が出てくるでしょう。さて、そのときに急に財政拡大から引き締めに転じ、インフレを制御できるかが問われます。
財政引き締めのためには財政支出削減か増税が必要になりますが、財政拡大で恩恵を受けた既得権益層は財政支出削減に激しく抵抗しますし、増税は選挙で嫌われます。日本のこれまでの実績を見れば、緊縮財政や増税の政治的決断がたやすくできるとは思えません。たとえ、できたとしても、相当な時間がかかるのは必至です。つまり、インフレの兆候が発生した時点で緊縮財政に転換することは極めて困難ですし、あるいはたとえできたとしてもかなり時間がかかりますから、手遅れになり、悪性インフレまで突っ走ってしまう危険性が高いのではないかと思います。
さらにもっと懸念されるのは到来するインフレの性格の問題です。モノとマネーの相対的関係としてとらえることができる通常のインフレであれば、マネーの流通量を絞ることにより、インフレを抑えることができます。この場合は、インフレはなだらかに連続的に発生します。しかし、財政拡大が余りに過大になり、通貨が大幅に過剰になると、インフレは単なる通貨量過剰の問題から通貨そのものの信用状態の問題に転化します。その通貨がもはや信用できないという状態になってしまえば、財政支出を多少引き締めたところで、もはや「焼け石に水」といった状況になりかねません。

MMTと日本の現状は循環論法

MMTの正当性の実証的根拠を求められたあるMMT論者は「MMTの正当性は日本が実証している」と述べたそうです。日本はここ数十年世界の中で、政府債務残高増大のトップランナーを走り続けてきました。その昔は、政府債務残高のGDP対比が100%を超えれば、危ないと言われていた時代もありましたが、100%を超えても何も起こりませんでした。次に200%を超えるようなことがあれば、今度こそ危険だと言っていましたが、実際200%を超えても、びくともしません。そして、現在250%を超えています。この分なら政府債務がもっと大きくなっても大丈夫だろう。それは日本の実績が証明しているというのです。
そして、片や、日本の財政拡張論者は日本の財政拡大の理論的正当性をMMTに求めています。つまり、MMTと日本の財政の現状は双方が相手方に依拠する一種の循環論法に陥っているといえます。循環論法に頼っていればどこかで破綻します。

 MMTは現在の世代に痛みをもたらさないだけに頼ってみたい気もするのですが、それだけに危険です。もし、MMTが単なる課題の先送りに過ぎないとすれば、我々は将来世代に過大なツケを負わせることになってしまいます。

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